アイスランド旅行記1


(mixiで一度書いて続きを書いていない日記の再録です)

■2011/9/14,15


正直本当に行く気があるのだろうかと思った。
しかし成田へ行く前日に荷物整理用の仕分けバッグを無印で買い、ついでに寄ったバールと知人に「風邪をひかずに帰ってこれますように」といってらっしゃいと言われて送りだされたので、行かねばならなかった。
知人には「あ、あの足で踊るダンスのある国ですよね!」(アイルランド)、「ウイスキーが有名なところですっけ?」(スコットランド)と言われていたのだったが。

仕事が明けた翌日の前泊日の朝にテンションはさらにぐだぐだになる。
荷物の総量を読み間違ってしまいきれず、実家に急きょひと回り大きなスーツケースを持ってくるよう泣きついたものの、蓋をあけたら鍵がなかったのだ。
夜勤の仕事疲れと寝不足とストレスで一歩も動けなくなった私は、親の車に乗ってひーこらと新たなスーツケースを買いに行く羽目になった。
一緒にアイスランドに行くOには「あの、成田に先に行ってて…(涙)」と電話したが、「ninnyこそ大丈夫?」と心配されたので夕方着に延期して準備を進めた。 何とも他人に迷惑をかけたものである。




現金なもので、成田に着くと気分は少し晴れやかになっていた。
学生時代以来久しぶりの成田!ライトに照らされた空港と行きかう車、大きな飛行機の影を見ているとそれだけで気持ちが高まる。
一泊してから朝遅い便で一路コペンハーゲンに向かった。
前の席はおそらくデンマークギャル(中学生?)で、通路挟んで向かいの座席の手すりに座りながらひたすらおしゃべりにふけっている様は、地元のローカル電車に乗る女子高生を彷彿とさせた。
シベリア上空を飛び続けて10時間、木の床が温かなコペンハーゲン空港で3時間待ち。さらに3時間半をかけてアイスランドへと向かう。ほぼ一日が移動に潰れる計算だ。

人には「何でそこまでかけて行くの?」「ていうか、何があるの?」と言われ続け、母からは「前に仕事でいたみたいなところにまた行くのか」とあきれられたが、とにかくその時は日本から遠くに離れたかったのだ。

ムーミンパパが「どんどん、どんどん行くぞ」と言っているように、どんどん行って、これまで見たことのないものが見たかった。ちっちゃいところでぐずついているだけのどんよりした気分から逃げたかったのだ。

私にとって旅とは、息をするためのもののような気がする。
だから移動も疲れるけど意外にも何とか体は動くし、旅先だと人が変わったように元気になる。「旅モード」にシフトするとそれまでのことはすべて忘れる。
空港で飛び交う異なる言葉も出発のアナウンスも、ダシの恋しい生活も、胸の中をペンキですっかり塗り替えるようにしてくれる。不健康だが贅沢なショック療法みたいだ。
乗り継ぎ待ちの間、時差ボケでぐったりしたOとウォークマンのイヤホンを分け合い、坂本美雨を聴いていた。日本でもずっと聴いていた音を誰かと別の国で分け合うのは不思議な気持ちだった。
「ああ、旅に出たなあ」とやっと少し実感した。

フェロー諸島上空の雲海を飛び続け、私たちは目的地へとたどり着いた。成田からおよそ18時間をかけた北の果てだ。時間はもう夜9時過ぎくらいだったろうか。
飛行機の窓をじっと眺めていると、眼下に暗い大地が見えた。黒い川もあった。
最初明りはぽつぽつとしか見えず、やがて空港周辺を彩る明るいオレンジの光が誕生日ケーキのろうそくみたいにたくさん見えた。サン・デグジュベリの『夜間飛行』みたいだなと思った。
見えたのはそれだけだった。
数個しか明りが見えないところに人は一体どうやって住んでいるのか、想像もつかない。

アイスランド航空の機内では経済破綻のあおりを受けてか機内食が有料で、しかも手前の座席から売り切れて行った。
私たちのところにカートがやってきたころには、スナック菓子しか残っていない有様で、私とOはプリングルスを分け合いながら夕食にした。
時差ボケで眠い上にご飯はプリングルス、寒い、暗い。
それにケフラヴィーク空港から首都のレイキャビクをつなぐ幹線道路の周囲は、延々とごつごつとした岩の大地が続いていた。ほかには何もない。バスに乗りながら徐々に私は不安な気分になってきた。

(とんでもねえ所に来ちまった…) 

アイスランド上陸、一日目の夜の第一印象はそんな風だった。
続きは書けって言われたら書きますたぶん…

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